そこは非常に坂の多い街です
階段や段差がそこら中にあり
自転車に乗る人はめったにいません
傾斜が20%をこえるところも多くあり
また、狭く曲がりくねった道が多いところです
その中を、転べば折れそうなほど華奢な足で、
どこまでもどこまでも歩いてもらいます
キリギリスやコオロギの鳴き声が響いていました
ひどく蒸し暑い夜でした
たちまち女の子は汗だくになります
靴のせいもあり、三時間ほど歩いた辺りからは、
脚全体がひどく痛むようになります
特に土踏まずとふくらはぎには激痛が走り
一歩一歩に苦痛を感じるようになってきます
顔を上げることもままならない状態です
どうしようもなく喉が渇いたときには
自販機の前でコントロール権を渡してやります
小銭だけは持たせてきたのでした
ポイントは、彼女が自分の意志で
飲み物を買って飲むということです
それでも疲労はどんどん溜まり
痛みはどんどん増してゆき
お腹はどんどん空いていきます
八時間ほど歩いたところで
標的はようやく目的地につきました
そこは、街を一望できる展望台です
螺旋階段をのぼりきったところで
僕は標的の女の子の操作を解除します
体力の限界を超えて動かされていた彼女は
途端にその場に崩れ落ちますが
彼女の体は、あらかじめ準備しておいた
椅子の上にちょうどおさまります
テーブルをはさんで、向かい側に僕が座っています
たかだか数百円のカップラーメンを
汁も残さず食べきった卑しい標的は、
自分が死にたがっていたことも忘れて
手摺に肘を乗せて、街を見下ろして
「きれいー」とはしゃいでします
物を考える力がなくなっているらしく
普段のように表情に抑制がありません
向きを変えようとして、足を絡ませて、
おもいっきり笑顔で転んでいます
「ところで、私のこと、殺さないんですか?」
標的は振り返って僕にたずねます
僕は説明しようとしますが、上手く言葉が出てきません
僕自身も物を考える力がなくなっていました
標的は八時間歩いて疲弊しきっているわけですが
こちらとしても、八時間標的を歩かせ続けるのは
自分で歩くのと同じか、それ以上に疲れるものなのです
面倒なので、いったん標的を家に帰すことにしました
今日のところは、飲み食いする喜びを
身体に叩き込むだけで勘弁してやろう、というわけです
僕が手招きすると、標的は黙ってついてきました
よく分かりませんが、従順で扱いやすい子です
どうせ操られるだろう、という諦めでしょうか
僕たちはふらつきながら螺旋階段を下りました
車のドアを開けて、運転席に乗り込むと
突然、猛烈な眠気に襲われました
自殺は無くなるんじゃないかな?
だって、死ぬこと以上に生きることの
大切さ、素晴らしさがわかるじゃないか!
標的が車の前で困ったような顔をしているので
助手席を開けて「乗れ」と言います
標的は「失礼します」と言って乗り込んできます
とても眠気に耐えきれそうもないので
十分ほど寝てから出発しようと決め
携帯の目覚ましをセットしている最中に
僕は眠りに落ちてしまいました
暑くて目が覚めました
車内には容赦なく朝の光が差し込んでいます
左に目をやると、女の子が眠っていました
僕はドアを開けて外に出て
展望台の下にある水道で顔を洗いました
体もずいぶん汗でベタついていたので
車に戻ってタオルを取りに行くと
ちょうど標的が目を覚ましたところでした
眠そうな目でこちらを見ていました
二人で並んで体の汗を濡れタオルで拭きとりながら
さてどこから説明したものか、と考えました
乾いた風がひんやりと心地よいです
標的は靴下まで脱いで足を洗っています
普通なら標的の方から何か聞いてきそうな物ですが
この女の子はさっきから、何一つ訊ねてこないのです
参ったな、と考えているその時でした
「綺麗になったことだし、どうぞ」
突然、標的はそう言うと、”気をつけ”の姿勢をとり、
僕の顔をまっすぐ見据えました
標的は両腕を広げて掌をこちらに向け、言いました
「落とすなり、吊るすなり、好きにしてください」
前髪から水滴がぽたぽた落ちて
濡れた手足がきらきら光っています
やっぱり気に入らないな、と僕は思います
「そのうち殺すさ、とてもひどいやり方で」
「とてもひどいやり方ですか」
標的は間抜け面で繰り返します
「ああ。だから、まず車に乗れ」
標的は靴を履き、車の方へ歩いて行きます
しっかりした朝食をとらせると
僕は標的を高校まで送り届けました
少しでも教室への滞在時間を減らしたくて
遅刻寸前に学校に来る主義の標的としては
むしろいつもより早く登校したことになります
車を降りると、標的はこちらを振り返り、
小さく頭を下げ、歩いて行きました
呑気なものです
こちらも一限の講義があるのですが
その前にひとつ、やっておくことがあります
目を閉じて、標的の顔を思い浮かべます
彼女はちょうど教室に入るところでした
標的は、なるべく目立たぬように、
静かにドアを開けて中に入ります
それでもドアの近くにいた連中は、
誰が来たのかを確認しようと目を向けます
そのとき、標的の表情がぱっと明るくなり、
口からは「おはよう」と朝の挨拶が出てきます
もちろん僕の仕業です
周りの連中は誰も挨拶には応えません
それは勿論、誰も、彼女が挨拶してくるなどとは
想像さえしていないからです
聞き間違えだろう、くらいにしか思っていません
標的の顔が真っ赤に染まります
恥ずかしくて仕方がないのでしょう
死ぬのは平気でも、挨拶を無視されるのは嫌なのです
ですがその後も、標的が廊下で
クラスメイトと擦れ違うたびに
僕は標的に感じ良く頭を下げさせました
標的はノートに「かんべんしてください」と
書いて僕に見せようとしていましたが
僕は何の反応もしてやりませんでした
昼休みになると、標的はカロリーメイトを口に放り込み
イヤホンを耳にさして勉強を始めようとしたので
僕は体をのっとってイヤホンを引っこ抜きました
イヤホンなんてつけていたら、初めから周りとの
コミュニケーションを諦めている人みたいに見えるからです
標的はノートに「よけいなお世話です」と書きました
僕は標的の手を借りて、その文に取り消し線を引きます
そしてのその下に、「いやがらせ」と書いておきました
それを見た標的は、「ひどい」とだけ書き込みます
授業がすべて終わると、標的は誰よりも早く教室を出ます
いつもはさり気なく一番目に帰宅する標的ですが、
この日はなりふり構わず急いで出て行きます
これ以上僕に何かされたら敵わないと思ったのでしょう
しかし、帰宅後、彼女に更なる悲劇が訪れます
もちろん実行犯は僕なのですが
標的の体をのっとった僕は、再び身辺整理を始めました
一番下の引き出しにしまわれた、
カティサーク、ジョニーウォーカー赤、
エンシェントクランといったウィスキー
どこで手に入れたかは知りませんが
おそらく彼女の一番のお友達であるそれらを
僕はすべて洗面台に開けて流してしまいます
標的の口が「やめっ、もったいない」と動こうとします
今までで一番必死な反応だったかもしれません
ですが、知ったことではありません
さて、彼女のスケジュールによれば、
ベッドに横になって音楽を聴きはじめる頃合でしたが、
僕は酒瓶をビニール袋に入れて引き出しに戻すと、
そのまま彼女を家の外に出しました
ただし、今回は八時間ぶっ通しで歩かせたりはしません
十分ほど歩いたところで、目的地の公園に着きます
二台あるブランコの片方に、彼女を座らせます
当然、もう一台のブランコには、僕が座っていました
辺りは薄暗く、日暮が近くで鳴いています
僕は両手に抱えていた植木鉢を標的に渡します
標的は「なんですかこれ」と聞いてきます
「アグラオネマニティドゥムカーティシー」と僕は答えます
「いえ、品種のことじゃなくて。なんですかこれ」
「部屋が殺風景すぎるからな。観葉植物だ」
「……これも、いやがらせなんですか?」
「プレゼントに見えるか?」
標的は植木鉢を掲げて、眺めます
「見えなくもないですね、綺麗ですし」
「そういうところが、気にくわないんだ」
ブランコから下りて、僕は標的の前に立ちます
標的は植木鉢を膝の上に抱えたまま
少し緊張した表情で僕の顔を見ます
しばらくその状態が続くと
ふいに標的は植木鉢を足元にやさしく置いて
「殺しますか?」と言ってブランコをこぎはじめました
僕はあらためて聞いてみます
「結局お前は、殺されたがってるのか?」
「んー、殺した方がいいですよ」と標的は答えます
「初めてでもないんでしょう? 私で何人目ですか?」
僕はしばらくこう考えてから、こう言います
「どこまで知ってるんだ?」
標的はブランコをとめ、植木鉢に目をやり、
僕と目は合わせずに、こう言いました
「知ってるも何も、今あなたがしてるのは、
むかし私がしてたこと、そのままなんですよ」
これは集団ストーカーの自殺誘導
ですね。実行者の狂気を感じます。
地獄に墜ちるでしょう。
意味不明w
間違えた
こういう終わらせ方もありなんだと思いましたね。最後の言葉を予想して楽しめる、ひと粒で二度美味しいお話。
最高に面白かったっす
鳥肌が立ちました