17 名前:10 sage 投稿日:05/01/23(日) 21:22:37 ID:sghq72gI0
ある日彼は、足を怪我しました。
ぜんぜんたいした怪我ではなかったけれど、ギブスして、松葉杖をついてました。
彼はなんだか恥ずかしいなぁって、照れてました。
病院の帰りに、いつもの電車にのったのですが、
席は空いてませんでした。
すぐに、近くの若者が席をすっと立って譲ってくれました。
そのときです。
「私が席を譲るから、あんな座りなさい。」っと、
それは、いぜん席をゆずった、おばあちゃんでした。
彼は、ぼーっと立ってたんだけど。
「こんな形で、逢えてうれしいよ。さぁ座りなさい。」って
もう、彼はなんだか、勝手に感動しちゃって
座りながら泣いてました。
もう、ほんとかっこわるかった。
以上、感動して泣いた話です。
723 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:04/12/30(木) 14:00:48 ID:ZMJosVUx
19 :名前:2:04/12/22 23:55:12
三人兄弟の末っ子だったオレ。オレが消防だった時に兄貴が高3だった。
車好きの兄貴は自動車会社に就職したくて大学に行きたかったみたいけど、
頭は決してよく無かったので私立の大学にしかいける大学がなった。兄貴は親父に大学に行きたいと言ったが、
親父は『家には金が無い。残りの兄弟もいるし、我慢してくれ。すまん。』と言った。
影でその話を聞いていた俺は、それまで自分の家が貧乏だと思ってはなかったので驚いた。
話を承知した兄貴は、肩を揺らして泣いていた。親父も自分が不甲斐無いのか泣いていた。
その後、兄貴は高卒で就職した。数年後、同様に二番目の兄貴も高卒で就職した。
そして、俺が高3になった時、俺も大学に行きたいと思っていた。
自分でもいうのはなんだが、学校での成績はかなりいいほうだった。
しかし、親兄弟には迷惑はかけれないと進学は諦めていた。迷惑をかけないように、
『オレも高校卒業したら就職するから。』って家族にいつも言っていた。
そんな時、2人の兄貴が『お前は安心して好きな道を歩め。大学に行きたいなら、はっきり言え。オレがどうにかしてやる。
お前は頭もいいし、オレの出来なかった夢を叶えてくれ。』と言ってくれた。嬉しかった。大声で泣いた。
数年後、オレは無事に大学を卒業、兄貴の夢でありオレの夢であった自動車会社に就職することができた。
兄貴は喜んでくれてはいたが、さぞ悔しかっただろうと思う。申し訳ないことをしたと思っている。
面と向かって言うのは照れるので、ここで言わせてもらいたい。
兄貴、ありがとう。いつか、最高の車を造るからな。
36 :素敵な旦那様:04/10/02 07:58:47
嫁の日記を盗み読みしたら
いつも昼飯は、納豆ご飯やお茶漬けしか食べてないって分った。
友達とファミレスに行くのも月に一度と決めてるらしい。
俺に美味しい料理を食べさせたいからみたいな意味のことが
書いてあった。昼飯けずって夕飯にまわすって。
しかも、すげー明るく書いてあんの。
「今日は○ちゃん(俺)の好きな牡蠣を買うのだ~」とかさ。
俺の文句とかも書いてあるけど、文句書いてるくせに最後は俺を庇ったこと書いてるし。
マジで泣いた。もっと俺に甲斐性があれば昼から寿司でもなんでも食わせてやるんだけどな。
給料少ないのに専業で居てくれって言ったの俺だし。
金のことで責められたこと一度もないし(タバコ減らせとは言われるが)
節約も楽しいよーとか言ってたし。
盗み読みは良くないことだが、結婚してよかったってつくづく思った。
こんなに俺につくしてくれたのって親以外で初めてだし。
何もしてやれんから、浮気だけはしないと誓うよ。ま、浮気しようにももてないからできない俺だがな。
こういうの見ると結婚したくてたまらなくなる
仕事が忙しくて、休みの日にも持ち帰って家でやっていた。
娘が部屋に入って来た時、「遊んで欲しいのかな?」と思ったが、仕事に集中していたので無視していた。
ところが娘は「ぱぱ、おしごとがんばってね」と言い残して部屋を出ていった。
私は仕事を放り出して娘と遊びに出かけた。
|A-) いいなあ…
36:名無しさん@生活サロン看板議論中 04/10/15 00:11:13 [sage]
近所に婆ちゃん一人でやってる食料品店があって、なんか雰囲気が好きで結構通ってたら
いきなり店に品物が無くなった。
婆ちゃんが「驚いた?商売の保証人やってた弟が病気になったからこの店たたむのよー。」
一週間かそこらでチラシ無き在庫セールも終わり、婆ちゃんは店の前で椅子を出して
ボーっとしてた。
そんなある日仕事帰りに寄るとなんかニコニコして掃除しながら「奇特な人がいてね、今度どこそこで
店やるからそこで惣菜作らせてもらえるの。お店の2階が住めるようになっててね、お風呂もトイレも
ついててそこに住めるのよ。」
思わず「おばちゃん良かったねー。」って一緒に喜んだんだけどさ、商売人なら移転した店の場所くらい
教えるわな…
その近辺に行って本気で店を探そうと思ったんだけど、友人に止められた。その方が良いのは
分かっていても、あの巻き寿司がもう一度食べたいよ。
すまんが、これがちょっとよくわからない
心配しないようにおばちゃんが嘘ついてるってことか?
|A-) そうだと思う…
いいのか
サンクス
36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:04/12/08(水) 04:24:27 ID:qiFHDTnA
俺、今年の5月の誕生日に友達に貰った。
バイト先、店閉めるのが俺で、最後俺しか居なかったんだけど
急に店に入ってきて、paul smithの革の財布。
友達二人で金出して買ってくれたんだって。なきそうになった。ちょっと泣いた。
貰った云々よりも、俺がpaul smith好きってのを分かってくれて
財布が欲しかったってのを分かってくれてて、っていうか、自分に関心を向けてくれて
お金まで出してくれる友達が出来たことが嬉しかった。生きててよかったって思った。
消耗品ってのは分かってるから、ずっとは使えないと思うけど
大事に取っておこうと思う。その友達も大好きだし、ずっと大事にしていこうと思う。
525 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/12/15 13:17:29 ID:ADlU4voY
他の話に比べると全然せつなくないんだけど…
私が小学校2年生位の頃、近所においしいたいやき屋があった。
おばあちゃんはそこのたいやきが大好きだったけど、
少し糖尿病の気があるからと、たまーにしか食べなかった。
その年のおばあちゃんの誕生日に、「今日くらいならいいだろう」と思って
学校の帰りにとってあったお小遣いを握りしめてそのたいやき屋に行った。
おばあちゃんよろこんでくれるかなーとうきうきしながら
焼き立てのたいやきを抱えて、家に帰った。
そしたら、既にそこにはたいやきを食べているおばあちゃんと弟が。
同じ事を考えた母親が弟と一緒にたいやきを買いに行ったらしい。
私は先を越された悲しさと、私が買った分までおばあちゃんが食べちゃったら
おばあちゃんが病気になっちゃうーとか一瞬に色々考えて
うわーんと泣き出してしまった。
それを見たおばあちゃんが私が手にたいやきを持ってるのを見て
理解してくて「○ちゃんの分も食べるよ」と笑顔で頭を撫でてくれたけど
今でもたいやきを見るとこの事を思い出してなんだか切ない。
35 名前:10 投稿日:04/11/23 00:55:16
>>33
それがいるんですよ、うちの道場に。
半年ほど前に、「強くなりたい」と自分から入部してきた子。
はっきりいって運動神経もなく、体もひ弱です。
あまりここに書くのもはばかられるのかもしれないんですが、
めちゃくちゃ切ない過去を持つ子供なんです。
なんでも、父親に虐待されて、母親と一緒に実家に逃げてきたとか。
母親が殴られて泣かされるところを、何度も見てきたそうなんです。
それで、「母親を守れるくらい強くなりたい」と。
自分の足で相撲道場をしらべてやってきたそうです。
こんな子供が、本当にいるとは・・・・。
家庭環境の話など、聞いていて目頭が熱くなりました。
稽古は、驚くほど真剣に取り組みます。
一度でも倒されると、「もういっちょお願いします!」と立ち上がる。
おでこから血が流れても、かまわず必死にぶつかる。
申しあいの時も、積極的に前にでて取り組みます。
ゲロを吐いて、「少し休め」といっても、「まだまだ!」といって稽古を続ける。
泣きそうになるのを奥歯をかみ締めて我慢している姿を見ると、「絶対強くしてあげたい」と思うようになります。
ただ、体格が悪いのと、ちょっと気が弱いため、まだまだ勝てるレベルには到達していませんが。
しかし、必死に稽古を頑張っている姿は、周りの子供にも少しずつ影響を与えはじめています。
家でも努力しているようで、毎日四股腰割りを100回以上するそうです。股割がだんだんとできるようになってきました。
しかも、家ではお母さんのために皿洗いをしたり、肩をもんであげたりするようです。
まさかこんな子が現代にいるとは・・。
この子の成長が楽しみです。
3年前のある日、両親が離婚。俺と弟が母さんについていきました。
母さんは今まで専業主婦だったから仕事なんて全然できない。
パートを始めるも一月もしないで退職の繰り返し。家計は苦しくなる一方。
当時高校生だった俺のバイト代だけじゃやっていけるわけも無く
高校を中退して現場の仕事に就きました。
その際に少しでも家計の足しになればと漫画、ゲームをすべて売り
家にあるエフェクター、ベース、ギターも売ろうとしました。
でも、母さんは
「あんたの見つけた趣味なんだからバンドだけは続けなさい」
と、楽器の売却には猛反対しました。
学校を辞めたときにバンドも辞めたから楽器があっても意味がないと思い
俺は売る気まんまんでした。
でも母さんがあまりにしつこく言うのでベースだけ一本残しました。
その後、仕事仲間にバンドをやろうと誘われて、バンド活動を再開しました。
手元にあるのはアイバニーズのしょぼいベースのみ。
アンプもシールドも無い。シールドが無きゃスタジオ練習もできないので
楽器屋の600円の激安シールドを一本だけ買いました。
それ以来ずっとチョッケルです。
話がそれるんだけど今年の誕生日に母さんが
「いつも無理して頑張ってくれてるから・・・」
と言って少しずつ貯めていたパート代でモンスターケーブルを買ってくれました。
何やってんだよバカ。家計が苦しいのに。
楽器の事シロートなのに楽器屋の店員に色々聞いただと?
無理してんじゃねえよ。そんな金あるなら自分の服でも買えってのに・・・
やつれた顔で精一杯笑いながら
「誕生日おめでとう。まだ若いんだから自分のやりたい事頑張りなさい。」
恥ずかしながら泣いちゃったよ。もう体の水分全部出るくらいw
厨房の卒業式以来だよ、親の目の前で大泣きしたのは。
ゴメン、ちょっとスレ違いだよね。長文&スレ汚しスマソ。
569 名前:大人の名無しさん[sage] 投稿日:04/12/26 09:59:28 ID:yEbttmvy
昨日は、来年中学生になる息子の誕生日。
ささやかなプレゼントとケーキでお祝いしたよ。
「ぼくを生んでくれて、元気に育ててくれてありがとう」
だって。
夫婦で嗚咽して、パーティーを台無しにしてしまったよ。
おまえこそ、生まれてくれて、元気に育ってくれて
ありがとうな。
774号室の住人さん :04/12/17 00:00:09 ID:FyLwgV+Y
おかんの誕生日が1月4日なのね。
で年始終わって電車で首都圏に戻る時に駅まで車で送ってくれたんだけど、
車降りた時にトゥモローランドで買ってラッピングしてもらったブラウスを
渡したの。(誕生日当日に「おめでとー!」なんて渡すのはオイラにはできんのだよ)
「やるよ。」って素っ気無く渡したらおかんは何も言わずに受け取って
そのまま助手席置いて、「それじゃあね。」って言って帰ってしまった。
「おぉーい!ありがとうもなしかよー!‥‥まいっか。」
と思った次の日おかんからメールが。
「何よー、ちゃんと渡してよー、暗くてわかんなかったじゃなーい。家帰って
泣いちゃったわよー」
良かった‥
就職決まった事だしこれから親孝行するからいつまでも元気でいてくれ、おかん!
じつは、野平さんのことで、忘れられない思い出がある。昭和61年だから、もう15年も前のことである。
百貨店に勤める友人に頼まれて、千葉県船橋市にある百貨店で、トークショーをすることになった。
トークショーといっても、百貨店の広報部の女性と僕とで、競馬について何かしゃべるという、地味なうえにかなりアバウトな企画だった。
これにまったく人が集まらなかったのである。
無料とはいえ、若造の訳の分からないトークショーに足を運ぶほど奇特な人はいないところにもってきて、8月のものすごく暑い、平日の午後1時である。
たいがいの人は会社にいるか家にいる時間だ。
おまけに、トークショーをやった場所というのが、百貨店の5階にある紳士服売り場の片隅。百貨店のなかでも、ただでさえお客さんの少ない場所なのである。
スタートの午後1時。
30ほどの椅子を並べた会場に、お客さんは誰ひとりいなかった。
とりあえず始めましょう、始めればそのうち声を聞いてお客さんも集まってきますからということになって始めたのだが、5分ほどしてご婦人がひとりお座りになった。
どこかでお見かけしたお顔だが、さてどなたかと、しゃべりながら考えているうちに、男性がひとり会場に入ってきて、そのご婦人の隣に座った。
それでハッと分かった。なんと、野平祐二ご夫妻だったのだ。
54 名前: 投稿日: 02/03/13 23:44 ID:eb7Gh2DG
あとで伺ったところによると、百貨店へ旅行のチケットを買いに来て、たまたま会場前を通りかかったとのこと。
それからの1時間、野平さんご夫妻は、こちらの話を聞いてくださったのである。お客さんは、ほかには最後までゼロだった。
何を話したのか、ほとんど記憶にない。本職が前に座っているのだから、相当にアガッたのだと思う。
それを見て、野平さんが助け舟を出してくださった。その場面だけはよく覚えている。
こちらに一瞬の間があったとき、タイミングよく「質問してもいいですか?」と手を挙げてくださったのだ。
「どんなことでしょう」
「競馬で儲けるにはどうしたらいいでしょうか」(笑)
「僕の予想を買わないことです」(笑)
「そんなに外れるんですか」
「ものすごく損します」
「それでも競馬をやるのはなぜですか」
「競馬のように、なくても誰も困らないものが、存在できる世の中が平和だと思うからです」
「……」
「先生。この答えでいいでしょうか」
「満点だと思います」
先生、あのお言葉一生忘れません。ご冥福を祈ります 。
134 :M7.74 :04/11/11 23:57:14 ID:xtl17gRB
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。
「あ り が と う は ん き ゅ う で ん し ゃ」
運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。
ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。
415 名前:水先案名無い人 投稿日:04/11/29(月) 13:49:32 ID:3zb8lUGc
今日思い立って面接用のスーツ買ってきた。
お母さんに1万円借りた。
もっといいの買いなさいって言われたけど、
年末、お金が無いのは知っていたし。
「ごめん。絶対に返すから、1万円貸して」って。
近所のホームセンターで7,999円のスーツと
500円のシャツ、ネクタイを買ってきた。
すそ挙げにお金が掛かるから、そのまま買ってきた。
お母さんにすそ挙げをお願いした。
そしたらお母さん、ニコニコしながら泣いていた。
俺も泣いた。
394 :おさかなくわえた名無しさん :2007/09/07(金) 22:38:00 ID:Tz7LhDCG
こどもの発達がちょっとゆっくりで、保健センターに通っている。
母子教室みたいなのの最中、おばあちゃんと男の子が二人迷い込んできた。
「すみません、里親会の集まりの会場はここでしょうか?」
トイレに行くときに貼り紙をみたので、
「それなら、上の階の○○室ですよ」と教えてあげた。
おばあちゃんは、頭を下げながら男の子達の手をしっかり握って去っていった。
でも、○○室って引っ込んでてわかりにくいんだよな~と思い出し、
案内した方が良いかなと思って子供を先生に預けて追いかけた。
前方から聞こえてきた漫画みたいな会話
男の子(小)「さっきのが『おかあさん?』」
男の子(大)「うん、あんな感じ。でも僕らのおかあさんはおばあちゃんだから!」
(小)君と僕が違うところで生まれても兄弟みたいに、
ほんとうのお母さんでなくてもおばあちゃんがおかあさんだから。」
男の子(小)「うん、綺麗なおかあさんたちよりおばあちゃんが一番優しいね、きっと。」
おばあちゃんはただただ交互に男の子2人にほほえみかけていた。
その笑顔はただただ優しくて、このおばあちゃんがこの男の子達に
どれだけの愛情を注いでいるのかわかるようで、何だか泣きたくなった。
これすげぇ…