病院に戻って、またICUに向かう。
ICUの処置室の入り口に妹がいた。
俺の顔を見るなり
「お兄ちゃん!見て!お母さん綺麗になったよ!」と言ってきた。
妹は笑顔だった。
奥に進むと処置台の上に綺麗に化粧をした母親が寝ていた。
綺麗な母親の死に顔を見た瞬間、俺の中の何かが、音をたてて切れた。
本当にプチンと音が鳴った気がした。
全身の力が全部抜け、立っていられなくなりその場で座り込んで号泣した。
我慢していたものが全部崩れた。
これまであったこと、この数ヶ月頑張ってきたこと、なによりも本当に過多すぎるくらいの愛情いっぱいでこれまで俺を育ててくれたこと、なにもかもが全部が頭の中で粉々になった。
まったく立てなくなった。腰が抜けたってああいうことを言うんだろう。
自分でも驚いたけど、とにかくその瞬間からなにもできなくなった。
葬儀屋との打ち合わせがあったけど、もう俺にはできなくなった。
あれだけ頑張ろうと思っていたのに、何もできなくなった。
そのときに自分の感情をコントロールできなくなってることに気がついた。
無理して感情を抑えていたせいだろう。
もう大声で泣くことしかできなかった。
結局打ち合わせは叔母がやってくれた。
すべての処置が済み母親を乗せた担架が来た。
母親は、頭の先からつま先まで真っ白い布で覆われていた。
昔、雑誌でミイラを作る過程とやらの写真があんなだったような気がする。
横で父親が小さな声で
「あんななってしもて・・・・」とつぶやいた
病院の地下の駐車場で葬儀屋の用意した車に乗るときに、お世話になった看護師さんや医師たちが20人くらいが見送ってくれた。
顔見知りになった看護師さんも何人かいる。
みんな泣いてくれていた。
これも母親の人柄だろう。
みんなの涙がありがたかった。
主治医の女の先生が妹のそばにいた。
そういえば脳死が告げられたあと、俺は主治医に聞いた。
「お母さん頑張りましたよね?」
主治医は顔色を変えずに、こちらも見ないで黙って頷いただけだった。
そのときは少し冷たいような気がした。
その主治医が妹の両肩を掴んで、すがりつくようにしていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」とボロボロと泣きながら土下座をするような勢いで謝っていた。
男性の医師が抱えるようにして起こした。
謝ることなんて何もない。精一杯やってくれた。
俺はすぐにそこへ行って、むしろお礼を言いたかった。
でもやっぱり体は動かなかった。
妹が「ここに入院したことも、手術をしたことも、何もかも後悔なんてしてませんよ」と笑って医師に言った。
主治医が「うわぁ」と泣き崩れた。
俺は医師がそんなんじゃ体も気持ちも持たんやろうに。。。と覚めたことを考えながらも、その医師の姿を見たときに心の底からありがとうと言いたかった。
母親は実家ではなく、俺のマンションに連れて行くことにした。
あれだけ楽しみにしてたマンション。
仮通夜は俺のマンションでしてあげよう。家族全員の意見が一致した。
なにかと忙しかった。
親戚をはじめ母親の友達やらに連絡を取らなければいけない。
俺は変わらず何もできなかったので、妹と叔母がほとんどやってくれた。
母親のたいていの交友関係は父親や妹が把握してる。
もちろん、みんなに連絡した。
ただ、1人だけ、家族3人も叔母も知らない女性の名前が携帯に残されていて、電話をする前にこれは誰だろうかってみんなで調べた。
すると母親が入院してる間に届いてた手紙があって、その差出人がその方の名前がその方だった。
いかにも昔の方って感じの丁寧な字で、なんというかすごく心のこもった美しい文章で母親の病状を心配する内容で、俺や妹の身体まで気遣ってくれてた。
妹がその人に電話した。
母が亡くなりましたって。
予想通りの高齢の女性で、電話の向こうで大号泣して、かなりショックを受けてたらしい。
それから何時間か後にその方からまた電話があった。
自分の体調のこともあって、もしかしたら通夜や葬儀には行けないかもしれない。
だからどうしても今、顔がみたいから、見に行かせてくれと。
母親は俺のマンションでゆっくりしてもらっている。
もちろんごく近い身内しかいない。
妹から俺に電話を変わったが、なにをどうしたって断れるような雰囲気じゃなかった。
鬼気迫るような感じで、どうしても会わせてくれって。
結局断りきれずに来ていただいた。
その方は85歳くらいで、肝臓も長年患ってて、つい先月心臓の手術をうけたばっかりで。
部屋に入って母親の顔を見た瞬間に、もうすごく泣き崩れてしまった。
話を聞くと、どうも西宮の病院に通院してるときに知り合った方らしく、母親との付き合いはもう20年にもなるらしい。
20年前というと母親が原発性胆汁性肝硬変って診断された時期。
叔母の話では、母親は当時すごいショックを受けてたらしい。
その頃にたまたま病院で知り合ったこの方をすごく頼って今まで色々相談していたようだ。
俺や妹のことをすごくよく知っていた。
母親は病気の悩みだけじゃなく、身内に言えないようなことまで、色んなことすべてこの人に話してた。
家族には心配をかけたくないからだろう。
母親の不安はすべてこの人が受けとめてくれていた。
実際、俺ら家族は本人がしんどいだと痛いだと言ってるのを聞いた事がない。
反対に、その方は独り身やったんで、母親のほうもその方の悩み事を色々聞いてあげてたみたい。
変わり果てた母親の顔を撫でながら、「あなたは私の支えやったのに。」ってずっと泣いてた。
妹の身体をすごく心配してて、1時間くらい妹と話ししたあとに母親に向かって「Hさん、あなたの娘さんと私は今?がりましたよ。あなたが繋いでくれた縁は大事にしますからね」って。
この方への感謝も大きかったけど、こういう友人が母親にいたことがすごく嬉しかった。
帰るときに俺に、「お母さんが亡くなったことはすごく悲しい事ですけど、残ってる方たちのほうが大事なんですよ。それを忘れずにお父様と妹さんをしっかり守ってあげてくださいね」って。
ありがたい言葉だった。
母親と一緒に過ごす最後の夜。
そういえば手術前後くらいに、ドナーカードが届いていた。
俺はドナーになる気マンマンだったけど、最終的には妹がドナーになった。
だから、もし将来自分の体がどうにかなったときに、ぜひ必要としている方へ提供しようと思って登録していた。
俺みたいなだめ人間でも役に立てるかもしれない。
世間にはドナーになる人が見つからずに亡くなる方々がたくさんいる。
その人やその家族に喜んでもらえるなら、臓器でもなんでも持って行ってくれと心の底から思っていた。
しかし母が脳死になり、息を引き取るまでの数時間、魔法の時間と言ってもいいくらいの穏やかで充実した時間を経験した今では、ドナーカードを持つ勇気はなくなった。
考えて考えて考え抜いた結果、ドナーカードを持つのはやっぱりやめようと。
こればかりは正しい答えなんてないし、もしかするとこの先に考えがまた変わるかもしれない。
でも今はやっぱりドナーカードを持つことはできない。
母の最期は、人間としては最高に幸せな最後だった。
旦那に手を握られて、息子や娘、妹夫婦に囲まれて静かに逝った。
そんな幸せな最後を迎えることができる人間がどれだけいるだろう。
それを思って、いつも「お母さん、良かったなぁ・・・」と心の中で声をかけてる。
以上です。
読んでくれてありがとう。
なにか質問あれば答える。つーてもないだろうけど
>>71
ありがとう
>>72
それが全部で3000円くらい
元々の肝硬変が難病指定されてるからね
その3000円っていうのは手術前にした虫歯の治療代
虫歯の菌でも命取りになるから
まだ近い身内に不幸があったことがないから、自分にはどれぐらいの重さなのかわからないけど、>>1は流石だと思う
これからも長生きしてください
ありがとう
親孝行、出来る時にしなきゃな
今でこそ多少落ち着いたけど、2年前は尋常じゃないほど後悔したわ
本当にな~んにも親孝行してなかったからなぁ
夕方開けたばかりのティッシュが半分以上無くなったよ。。
ありがとう。そういってもらえると嬉しい
1年で親に会えるのはお正月とお盆の6日間として計算。
1日に親と一緒にいる時間を11時間と計算。
親が60歳から80歳まで生きるとします。すると、
親の残された寿命(20年)× 1年に合う日数(6日間) ×1日に一緒にいる時間(11時間)
=1320時間。 日数にすると55日。
今となってはそういうのもズッシリ心に響くんだけど、親が元気だとたいていそういう事に気がつかないよな。
孝行したいときに親はなしって本当によく言ったもんだわ
うん、独身。
この当時は彼女いたんだけど、母親がいなくなった悲しみがあまりに大きすぎて、気を回してあげれなかった。
いいおっさんなのに本当にダメ人間なんだ。俺は
いや俺はこのスレを見て>>1が駄目な人間とはこれっぽっちも思わないぞ
親が大変な時に彼女にまで気を回せる奴なんて滅多にいてないやろ
十分よく頑張ったと思うよ
明るく生きて天国のかーちゃん安心させてやろうぜ!!
自分の母親も怪我病気一つしたこと無かったのに急に。後悔しかしてないし今でも夢に出て来たらいっつも泣きながら謝ってる
本当にな。
まさか自分の親が死ぬなんて夢にも思わないもんな。
普通に考えれば、ほぼ確実に自分よりも先に死ぬのにそのことを想像もできなかったわ。
俺も今だに夢によく見る。
決まってICUで元気になる夢。
で、起きてから泣く。
自分の場合は学生で、実家離れて1人暮らししてたらクモ膜下で倒れたって連絡が親父から来てどうにか高速バスで帰って病院駆け込んだら、呼吸器つせて脳死状態だった。
ドラマみたいに頭が真っ白になるって本当にあるんだな。
初めは目の前の状況が理解できなかった。
でもいつとニコニコして優しい叔母さんが泣き疲れた顔でよく帰ってきた、、って言われてようやく把握して崩れ落ちた
涙が出た
みんなすごくがんばったんだな…
妹肝臓はちゃんと元の大きさに戻った?
お疲れ様でした
なんか涙が止まりませんでした
お母さんも妹さんも主さんも皆さんで見送ってあげられてよかった、、、
助かる、、、ってずーっと読んでで思ってました
主さんもその家族のみなさんも元気でやってますか?
皆さんの元気をお母さんも願ってると思いました。
これからも元気でやっていってください!
主さんは最後にいっぱい親孝行したと思います。
自分が同じ立場になったら、迷わず肝臓を差し出せるか自信がない…