手術から10日が経った。
他の人たちならもうとっくに意識を回復しているはず。早い人ならICUを出ている人もいる。
母親はまだだった。
とにかく意識を正常に戻すのが先決なので、実家の猫の写真をICUの母親の目の届くところに貼ったり、よく朝、道上洋三のラジオを聴いていたので、枕元にラジオを置いてみたりいろんなことをした。
そのかいもあって、本当にゆっくりとではあるが母親の様子は良くなっていた。
母親の様子は朝と夕方と夜に自分の病室を出てICUへ様子を見に行ってくれていた妹がLINEで教えてくれた。
ある日、父親の「早く元気になってまた温泉いこうな」という言葉で少し笑った。
医師も看護師も喜んだ。
確実に良くなっていた。
2週間がすぎたころ、腎臓が悪くなっていた。
一時的にそうなるのはよくあることだけど、問題は肺のほうだった。
なんらかの理由で肺に水がたまっている状態で、それが元で肺炎を起こしかけていた。
医師は、水びたしになった肺を放っておくことはできないので、すぐに処置をしたい、でも免疫の無い今の状態で体にメスを入れるのは感染症の危険もあり非常に危険だが背に腹は変えられないといった意味のことを言った。
この頃は妹はほぼ回復していて、いつでも退院できる状態だったが、母親がそんな状態では退院なんかできるわけもない。病院もそれをわかっているので、妹はずっと入院したままだった。
「さっき先生に言われた。お母さん感染症にかかった。」
妹からLINEで送られてきた。
感染症は手術前から、移植手術について調べていると必ず出てきた言葉で、一言で感染症といっても色んなパターンがある。
軽度なものから重篤なものまで色々。
「先生はなんて?」
の質問にたった一言
「危険な状態」と返ってきた。
目一杯、感染症について調べた。
そういう性分なんだろうけど、病院へ行く前にとにかく調べるだけ調べてできる限りの知識を詰め込んでおきたい。
病院で医師に今すぐどうこうではないけれど、少しやっかいなことになった。みたいなことを言われた。
その日の夜、また妹からLINEがあった。
「先生が話しあるって。明日の朝お父さんと一緒に病院に来て。」
この日は眠れなかった。
怖くて怖くて仕方なかった。
一晩中Facebookに何か書き込んでいたと思う。
次の日の朝、7月19日。
家族3人で担当医師のところへ行くと、カウンセリングルームへ通された。
その部屋には俺ら3人のほかに医師やコーディネーターさんなど7人くらいいた。
直感で良くないことなんだと思った。
良い知らせなら担当医師1人で充分だ。
悪い知らせだからこそ、フォローするためにこんなにたくさんの人がいるんだろう。
医師がゆっくり説明しだした。
腎臓も良くならないし、感染症のせいもあってか肺炎がどんどん悪くなっていっている。
ついには最後まで頑張ってた移植したばかりの肝臓もつられるように悪くなり始めた。
正直言ってここでこうして話している間にも心臓が止まってもおかしくない。と
3人とも何も言葉が出ない。
妹は医師の顔をじっと見ていた。
父親はずっと下をうつむいていた。
俺は「もう何もできることはないんですか?」ときいた。
「いえ、まだ試していない治療もあります。もちろん私らはあきらめてはいません。」
そういうと一呼吸おいてから
「ただ、、、さっきも言ったようにいつ心臓が止まってもおかしくない状態です。だからもし、心臓が止まったとき、、、どうしますか?蘇生しますか?、、、一度止まってしまうと、お母さんの場合は内臓がボロボロなんで正直言ってそこから回復するのは厳しいです。」
医師は顔を上げている俺に向かってそう言った。
俺は父親のほうを見た。
父親は目を真っ赤にして、震える声で搾り出すように「できるとこ、、、まで、、、やってほしい、、、よな?」と俺に言った。
つまり心臓が止まっても蘇生して欲しいということだった。
俺も気持ちは一緒だった。
このまま死ぬなんて考えられなかった。
「蘇生してください」
俺がそう言うと、医師は妹のほうを見た。
妹は何も言わなかったが医師と目を合わせ頷いた。
俺は医師と妹のそのやり取りになにか違和感を感じた。
とにかくもし心臓が止まっても蘇生するということで落ち着いた。
部屋を出て、3人で妹の病室へ向かった。
フラフラになった父親に声をかけた
「お父さん、あのな。なんとなくやけど、お母さんギリギリのとこまでいってもなんとか助かるような気がするわ。」
父親は
「・・・お前がそう言うなら、お母さん助かるかもな」
俺はなぐさめではなくて本気でそう思っていた。
その日の夜、20時頃に妹から連絡があった。
「お母さん、今晩が山場らしい。でも今日を乗り越えたら希望がもてるって。」
ちょうどそのとき、俺のマンションに父親が来ていた。
俺は父親には「山場」とは言わずに「明日になれば希望が持てるかも」とだけ伝えた。
明日の朝、一緒に病院へ行くことにして父親を帰した。
21時すぎくらい。
どうも落ち着かない。
今日のうちに病院に行かなくてもいいのだろうか?
妹に聞くと「先生にはお兄ちゃんとお父さんは明日の朝来るって伝えたけど、今日来いとは言われなかったよ。」
何か胸騒ぎというかとにかく落ち着かなかった。
思い切って病院へ行くことにした。
駅へ向かう途中で父親に電話をして、「今から行くけどお父さんは明日の朝に来たらええから」と伝えた。
もうすっかり暗くなった病院のロビーを抜けて、ICUへ向かう。
ちょうど部屋に入るときにすれ違った看護師に「あ、お兄さん、お母さん頑張ってますから声をかけてあげてください」と言われた。
時計を見ると22時前だった。
病室では俺と母親の2人だけだけど、病室のすぐ外では3人くらいの医師が母親の容態を映すモニターとにらめっこしている。
俺は母親のそばに座り、パンパンにむくれあがった母親の手を握り「お母さん、きたで。もうちょっとやで頑張ろうな」と声をかけた。
部屋では呼吸器から聞こえるシューシューという音と、たくさんある機械から規則的に鳴るピッピッという音だけしか聞こえなかった。
2分か3分か。
おそらく母親の血圧の数値が表示されているモニターをぼけーっと眺めていたとき、急にその数値が0になったり200になったり乱高下しだした。
あれ?と思った瞬間、外にいた医師たちが病室に飛び込んできた。
おれは反射的に母親のそばを飛び退いて、病室の壁に張り付くようにした。
医師たちは大きな声で、なにか単語だけで会話していた。
母親の着ていたパジャマのボタンをすごい勢いで外した。
裸にされた母親の上半身を1人が少し浮かすように抱えあげる。
別の医師が、ベッドと母親の背中にできた隙間に鉄板の様なものを差し込んだ。
母親の上半身を戻し、鉄板の上に寝かせる。
1人の医師が母親の上に覆いかぶさるようにして、両手の平を合わせて、母親の胸にあて、力いっぱい叩くようにして何度も押し始めた。
何度か胸を押すと、急にその動作を止めて医師たちはいっせいに時計を確認しだした。
また胸を押し始める。
またやめて時計とにらめっこをする。
分かってはいた。
今、母親の心臓が止まって、蘇生をしてるんだと分かってはいた。
でもなにか夢の中にいるような感じでボーっとその光景を見ていた。
心臓マッサージを何度か繰り返すと、全員がホッとしたような顔をして病室から出て行った。
いつのまにか横にいた看護師に、「さっき心臓とまったん?」と聞いた。
「はい」とだけ答えた。
妹が上の階の病室から降りてきた。
「お母さん、さっき心臓止まった。。。」というと
妹は小さな声で「うん」と答えた。
父親に電話してすぐに病院に来るように伝えた。
叔母にも連絡をした。
俺と妹は医師に呼ばれた
「お兄さんは一部始終見てたから分かるでしょうけど、先ほど心停止しました。今朝お話したときに言われたように蘇生しました。もし次にまた止まっても蘇生しますか?」
俺は即答できなかった。
今朝、蘇生してくれと言ったことは間違っていなかった。
もし蘇生しないでくれと言っていたら、母親はさっき死んでいた。
父親も妹も死に目に会えなかった。
俺だけしかいなかった。
でもさっき心臓マッサージをされている母親を見てしまった今は、強く今度も蘇生してほしいとは思えなくなっていた。
死んでほしくない。何が何でも死んで欲しくなんかないけど、もう一度あんなことをするのかと思うとつらくて仕方なかった。
医師にはもうすぐ父親がくるので相談させてくれとだけ言った。
父親が来るまでの間、妹と話した。
実は昨日の晩、妹は医師に同じことを聞かれていたらしい。
「もし心臓が止まったらどうしますか?」と。
妹は「蘇生しないでくれ」と言っていたらしい。
もうこれ以上しんどい目に合わせたくないから静かに逝かせてやってほしいと。
ただ、このことは自分だけじゃなく兄と父親にも聞いてくれと医師にお願いしていた。
そして、きっと兄と父は蘇生してくれと頼むと思うので、そのときはどうかそのようにしてあげてほしい。と伝えていたそうだ。
今朝の医師と妹のアイコンタクトはこれだった。
俺と父親が、妹の言ったとおりにお願いしたので、それでお願いしますという合図だった。
妹は普段から母親と仲がいい。命を助けるために何のためらいもなく自分の肝臓まで提供した。
手術後も、可能な限り、自分の病室ではなく母親のいるICUでずっと様子を見てきた。
多分妹の判断が正しいのだろう。
父親が来た。
少し前に心停止したことを伝えた。
黙っていた。
次にまた止まったらどうする?の質問にはずっと黙って考えていたが、小さな小さな声で「お前に任せる」とだけ言った。
俺は医師のところへ行った。
「次に止まってもまた蘇生してください」と伝えた。
医師は表情を曇らせたけど、わかりましたと言ってくれた。
もう蘇生しないほうがいいんだろう。
そんなことは充分に分かっていた。
でも俺には「蘇生しなくてもいいです」の一言は絶対に言えなかった。
母親に死んで欲しくなかった。
まだまだ話したいことがたくさんある。
親孝行なんてなにもしていない。
絶対に絶対に助かると信じてここまで頑張ってきた。
今まで膨らむだけ膨らんだ希望を自分でしぼませることはできなかった。
妹のところへ行き、つぎも蘇生をお願いしたことを伝え、謝った。
妹は「いいよ」と言ってくれた。
叔母が来た。
もうすでに泣きじゃくった顔で、部屋に入るなりベッドの母親に抱きつき「あんた、いかんといて~」とすがった。
何時間か前に言われた、明日まで生きてれば希望が持てるということをふと思い出した。
それって今も有効ですか?
看護師さんに聞いた。
このままいけば朝まで生きている可能性は少ないけれど、逆に言えば朝までもてば悪くなるスピードが緩やかになっているということだから、朝まで頑張れば希望はあると思いますよ、と言ってくれた。
朝まで頑張れ。
いつのまにか父親は母親のことを「おい」とか「お前」ではなく、名前で呼んでいた。
ただでさえ、ほとんど寝ていない上に疲労もピークになっていたので、何度か席を外して寝るように言ったけど、15分もすればすぐに戻ってきた。
多分、朝まで話しかけ続ければ、アッチに行くに行けなくなって戻ってくると信じているんだろう。
朝まで持ちこたえれば何とかなる。
朝になればもう1人の叔母も来てくれる。
みんな必死だった。
1人で病室の外へ出たときに看護師さんに話しかけられた。
「あの、もしかしてお母さんやお父さんの出身って○○県の○○島ですか?」
「うん、そうやけどなんで?」
「え~!私その○○島の船着場の近くが実家なんです。さっきからお父さんが話してるのを聞いててもしかしてと思って。」
父親にそのことを伝えると母親のベッドを挟んで、その看護師さんと父親が盛り上がりだした。
まるで母親も一緒に3人で話しているように見えた。
その看護師さんは、俺ら家族が帰省したときに、必ず寄るうどん屋さんの娘さんだった。
父親は喜んでいた。、
母親に「おい聞いてたか!この看護師さん○○の娘さんやて!」と声をかけていた。
看護師さんもなにか嬉しそうだった。
俺はどうにも複雑だった。
すごい偶然だ。本当にこんなことってあるんだと思った。
でも一度止まった心臓を再び動かし、その間に父親や妹や叔母が勢揃いし、あげくに担当の看護師さんが同郷だなんて、そんなもの出来過ぎてると思った。
俺からすれば、今日この場で母親が死ぬフラグとしか思えなかった。
頑張った母親に神様がほんの少しのご褒美をくれたんだろうなとしか思えなかった。
このときに俺は「ああ、お母さん、死んでしまうんか・・・」と思った
朝5時になった。
母親の血液を検査する。
その検査の結果次第で容態がどうなっているのかがハッキリ分かる。
さっきの同郷の看護師さんが、独り言のように「良くなってるといいですね~」と言いながら血液を持って外に出た。
30分ほどして医師が病室に来た。
医師の顔は明らかに沈んでいた。
それは俺だけじゃなく父親も妹も気がついていたと思う。
父親は今まで以上に大きな声で母親に声をかけだした。医師に悪い知らせを言わせまいとしているようだった。
医師はつらそうに。ゆっくり話し始めた。
「え~と、今は呼吸もあるし落ち着いた状態ですけど、先ほど分かったんですが、昨晩に心臓が止まったときから脳が死んでしまっている状態です。今はいわゆる脳死の状態です。」
誰も何も言わなかった。
看護師もショックを受けている。
医師が続ける。
「だからもし次に心臓が止まっても蘇生は意味がありませんので、、、」まで言うと医師は俺の顔を見た。
俺が蘇生はやめてくださいって言うのを待っているんだろう。
俺は父親や妹ではなく、母親に向かって大声で声をかけた。
「お母さんごめんな!がんばったけどあかんかったわ。。。もし次に心臓止まってしもたら、もう、、、」まで言って俺は泣き崩れてしまった。
病院で涙ぐんだことはあっても、ここまで泣くことはなかった。
妹と叔母も泣いていた。
父親は母親の顔を見ながら「そんな、、、そんなアホなことあるか、、、そんなことあるか、、、」と繰り返していた。
医師はさらに
「今から何分か何時間か、いつまでもつか分かりません。でも脳死といってもお母さんはきっと声は聞こえてますよ。一杯話しかけてあげてください。」
ふと看護師さんをみると彼女の目も真っ赤になっていた。
医師と看護師は出て行った。
病室には家族だけになった。
父親はまた母親に話しかけだした。
さっきまでの大きな声ではなく、小さな声で母親の耳元でありがとうありがとうとずっと言っていた。
俺も妹も叔母もたくさん声をかけた。
しばらくしてもう1人の叔母が旦那さんと一緒に病室に来た。
脳死であることをもう伝えていたので、叔母は病室に入るなり「ねぇ~~!(姉)」といって母親に抱きついた。
昼過ぎ、まだ息はある。
それにしても今朝の脳死宣告以降、看護師さんは来てくれるが医師は誰一人として病室に来なくなった。
俺らのいるICUの向かいにまったく同じタイプICUがある。
どうもさっきから人の出入りが激しい。
聞けば母親と同じ生体肝移植を、昨晩終えた方が入ったようだ。
たくさんの医師のほかにも家族らしい人もいる。
笑っていた。
うらやましかった。
少し落ち着いた俺は、コーディネーターさんのところへ行き、亡くなったあとはどうすればいいのか?葬儀屋さんとかは手配してくれるのかを聞いた。
すべて手配してくれると言う。
脳死宣告以降、病室では不思議と誰も泣かず、母親との最後の時間を大事に過ごした。
みんなが色んなことを穏やかに母親に話しかけ、お礼を言い、ゆっくりとした時間が流れていった。
あれは今思っても魔法の時間だったと思う。
7月20日14時59分。
母親は旦那に手を握られ、息子や娘や妹に囲まれて、ゆっくりと天国へ旅立った。
医師から臨終の宣告があった瞬間、これまで落ち着いていた妹が絶叫して母親にすがりついた。
叔母と看護師が妹の身体を支えるけど、まともに立っていられない状態。
父親も椅子から崩れ落ちて泣いている。
そういう姿を見てると、当たり前のように俺がしっかりしないとって強く思うようになった。
俺が頑張らないと!
俺がしっかりしないと!
これが大間違いだった。
医師から俺だけが処置室の外へ呼ばれた。
2人の医師が言うには、感染症の原因になった菌が特定できていない。
唇を噛んだときに傷口から入ったのか、なにか器具から入ったのか、それとも元々身体の中にいた菌が繁殖してしまったのか。
原因を追求するために解剖させてくれないかという。
こうして文章で書くと冷たい申し出のように感じるけど、実際は俺ら家族や母親のことを充分に気遣ってくれた上での申し出だった。
今後の為になるのなら解剖してもかまわない。
でも俺の意思では決められない。
ガラスの向こうの処置室では、まだ母親の身体にしがみついている妹の姿が見える。
俺が妹の姿を見ると、2人の医師は「ですよね。妹さんがなんて言うかですよね。」と俺の気持ちを汲んでくれた。
妹のところへ行き、解剖のことを話した。
「また、お母さん痛い思いせなあかんの?お母さん手術とか嫌いやんか。もうやめてあげようや。」
もう立派におばさんの年齢の妹が、小学生の女の子のように感じた。
医師は妹の気持ちを尊重してくれた。
妹が母親に化粧をしてあげたいと言い出した。
体につながっているたくさんの管を抜いたりする処置もある。
主治医は化粧も含めてそれらの作業を、妹も一緒にさせてくれると言ってくれた。
俺は、母親が退院するときに着たがっていたワンピースを家に取りに帰ることにした。
パジャマのままで病院を出るのは気の毒すぎる。
病院が手配してくれていた葬儀屋と軽く打ち合わせをして、俺だけすぐに病院を出た。
外は雨が降っていた。
駅まで雨に濡れて歩いた。
このときの精神状態は今思ってもどうだったか思い出せない。
でもとにかく「俺が俺が」って、気負っていたと思う。
家に着いて必要なものを用意し、猫にゴハンをあげた。
2匹の猫は丸1日放っておかれてたのもあって、さみしそうに甘えてきた。
「お母さん、もう帰ってこーへんよ」
そう言った瞬間、涙が溢れてきた。
本当はこのときに大泣きしていれば良かった。
でも、泣いたらあかん!俺がしっかりせんと。って気持ちが強くて我慢した。
家の外へ出たときに、隣に住むおばさんと会った。
「さきほど母が亡くなりました」
おばさんは「ええっ??」と驚いていた。
そういえば母親はごく近い身内にしか手術のことを話していない。
近所の人や友達には入院していることすら言っていなかった。
おばさんからしたら寝耳に水だろう。