「あ」
その声を絞り出すだけで、やっとだった。
ああ。ああ。なんで。なんで、死んでる?
これは、全てどっきりなんじゃないのか?
感情に反してあまりに現実味に溢れた自殺風景。
「99/100」と書かれた写真。自宅の風景だろうか。
だが、赤い。赤い液体が画面を埋め尽くしている。
これ。
さっき、一緒に写真に写っていた人じゃないか?
何で倒れてるんだ。血。血を流して。どうして。
僕は最下段にある「おわる」ボタンを押していた。
僕は怖いもの見たさという想いに支配されていた。
「どうが」を選択し「10/10」を選んで、押した。
画質は悪いが、ゆっくりと再生がはじまっていく。
「たすけて」
「なんで。なんで、こんなことに」
女性の声が聞こえる。これは第三者視点で撮られている?
どっきりにしても悪趣味がすぎる。だが僕は目を離せない。
「あなた。やめて。この子だけは」
誰か。誰か。女性が叫び続ける声が聞こえる。
不鮮明な動画でよかったと思っている僕がいた。
「あ」
続けて途切れ途切れの声で「なた」と続いていた。
女性の顔の筋肉は硬直し、目が大きく見開かれる。
そして動画は写真の男性を映すようになった。
足元には小さな子供と母親の遺体が転がっていた。
男児に覆い被さるように亡くなっているのが分かる。
男性は椅子を立て、天井の柱に縄を巻き付けていく。
やめろ。僕はその結末を知っていてそう呟いていた。
縄を首にかけ、椅子が倒れる瞬間、男の声が聞こえた。
「人生をやり直すんだ」
僕は見ていられなくなり、震えながら操作した。
「おわる」を選択し、顔写真の画面から、右キー。
するとまた、当初表示されていた画面に戻ってきた。
ニア・ニューゲーム
・つよくてニューゲーム
・よわくてニューゲーム
恐ろしくて仕方がなかった。なんなんだ、これは?
ホラーゲームの類と信じなければおかしくなりそうだ。
そういえば。
左キーで画面移動が行われたなら、右キーならば。
存在している可能性が高い。僕はまだ、何を見る?
震えの収まらない右手を左手で動かしていた。
左キー。ゆっくりと画面が切り替わっていく。
そこには「おわる」の文字と、一行の…何だ。
なんだ、これは?
あと 146282298 秒です。
ニア ・おわる
よく見ると、表示されている数字が減っている?
今もゆっくりと減少を続ける制限時間らしきもの。
僕はそれに、また恐怖を覚えざるを得なかった。
そして選択肢は一つ。
ゲームをやっている人なら何となくわかるものだ。
恐らくこのゲームらしきものを終わらせるボタンだ。
僕は固唾を飲みながら「おわる」ボタンを選択した。
すると、画面は少しだけ暗くなり、ちらつきはじめた。
最初の三つの選択肢の画面に戻り、暗くなっていく。
その後すぐに重い扉が開くような音がした。開いた?
開いた。
開いている。入って正面奥のテレビの右側の扉が。
ああ。開いた。開いた。もう画面も消えている。
僕は逃げ出したいという想いに駆られ、駆け出した。
扉を乱暴に開け放ち、後ろから大きな開閉音が追う。
そして出口らしき扉の前についた直前、耳に届いた。
少しだけ、扉が開いたような音が。
僕は恐怖から見つかる事も厭わず大声を出していた。
喉が痛い。走って肺が痛い。足だって同じく痛い。
途中で転んですりむいたりもしていたが走った。
あそこには居たくない。わけがわからなかった。
元きた道を辿りながら自転車を見つけて、僕は泣いた。
僕は確かに勝手に人の家に入った。それは悪いことだ。
けれど、何であそこまで怖い目にあわなきゃいけない。
見渡すと家の光と車のヘッドライトが見えた。
ああ。助かった。何かに危害を加えられたわけではない。
でもそう思った。誰かがいる。幸せなことじゃないか。
「ただいま」
家に戻るとすぐに鍵を閉めた。何かを恐れていた。
そしてテレビも寝るまで点けっぱなしにしていた。
「いただきます」
長く放置されていた夕飯を口に、幸せを噛み締めた。
ご飯を食べられる。ここはあの部屋じゃないんだ。
その時、家の電話が鳴った。
「ああ、もしもし。わたし。暇で電話しちゃった」
彼女か。ああ。やっと友人と声を交わせた。
それが再び涙する一因となって頬を伝った。
「もしもし。どうしたの?あなた、泣いてるの?」
「うん。今、テレビを見てたんだが、感動してて」
へえ。そんなテレビ、やっていたかしら。
そんな事を聞かれて、慌てて答えていた。
「僕はどうにも、感受性やらが強いようなんだ」
「難しい言葉を覚えたの。知的でいいじゃない」
くすくすと笑ってくれる彼女の声が希望だった。
一時でも長く声を交わし、不安を払拭したかった。
「ねえ。少し長電話できないかな。声が聞きたい」
「あら。それ、口説いてるつもりなのかしら?」
「それでもいい。今はちょっと、声が聞きたいんだ」
「わたしもちょうど、あなたの声が聞きたかったの」
そんなわけで僕と彼女は遅くまで電話を続けていた。
他愛もない話が、何もかも素晴らしい話に聞こえた。
「ありがとう。今日は、なんか、ごめん。寝るよ」
「気にしないで。ああ、わたしも着替えなきゃ」
お風呂にでも入ってゆっくり眠るとしようかしら。
僕もそうするよ。それじゃあ、お休み。また明日。
電話を切ってからは、テレビの光と音だけが頼りだ。
布団を敷き、僕は嫌でもあの部屋の事を思い出した。
あれは何なんだ?いたずらにしては度を超えている。
なんだろう。
それに。どうしてあの部屋だけ電気が通っている?
あの豪邸の食堂は電気が点かなかった。壊れていた?
探検していたとき、どの部屋も電気は点かなかった。
なら、あの部屋は、本当に都市伝説の部屋なのだ。
そろそろ、今日も終わってしまうな。七夕か。
織姫と彦星。その二人が出会うんだっけか。
まどろみながら僕はそんな事を考えていた。
僕はあの部屋の事は忘れることにした。
これが最善の選択だと思っていたからだ。
陽は昇る。そしてまた明日がやってくる。
このまま、変わらない日常を過ごすんだ。
ゆっくりとまぶたは落ちていく。
記憶が走馬灯のように駆け巡っていた。
部屋。部屋。テレビ。自殺。そして。
そして、なんだったかな。
部屋に入って、僕は左キーを押したんだ。
全員が僕を見てて、怖くなって、驚いて。
ああ。僕はどうして、驚いたんだったか。
…そこに、僕の名前もあったからだっけ。
『わたしたちは、付き合えない。大人じゃないもの』
『わたしは、あなたのこと、好きよ。でも、ダメよ』
『どうして。君の好きは、愛じゃないってことかな』
『いいえ。愛よ。恋心。間違いない。それは確かよ』
『でも。きっと、好きって感情だけでは、続かない』
『なんとなく分かるでしょう?きっと、あなたなら』
『分かる。なら、何時か。また、僕は君に告白する』
『へえ。その時まで、あなたはわたしを愛するの?』
『だって、好きだから。大人になったら付き合って』
『うん。なら、わたし、待ってるから、迎えに来て』
『信じてるから。ずっと、待ってるよ。いつまでも』
『さようなら。またここで会えるときを、待ってる』
人の噂も七十五日という言葉があるが、その通りだ。
ようやく十月に差し掛かろうとしていた。
その頃には誰も都市伝説を語らなかった。
その話をすると「遅れてるなあ」なんて言われるのだ。
最近の学校での流行りはドラマなどが主流なのだという。
どうにも僕は関心が持てず、しかし話の種に見ていた。
「ドラマ。初めて知った。わたしも人と話さないから」
「僕の場合は話せないだけだよ。チャンスがまず無い」
君の場合は話しかければ男子なら狂喜乱舞すると思う。
そんな事は口に出さずに、適当な会話を続けていった。
「前も言ったけど、そっちは君の家の方向じゃないよ」
「いいの。今日はちょっと、寄るところがあるのよ」
そっか、なら、ここでさよならだ。それじゃあばいばい。
うん。ごめんなさい、それじゃあ。気をつけて帰るのよ。
まるで母親の如く心配する彼女に吹き出してしまった。
となれば僕にはやることがない。家に帰ろう。
生活習慣というのはそうそう変わらないものだと思っている。
故に日々通学路を歩く彼女が最終的にどこかに消えれば気になる。
三日くらいは「忙しそうだなあ」で済んだから、まあいいのだが。
しかしもうかれこれ二週間くらい続いている。忙しすぎであろう。
「僕と帰るのが嫌になったか」と思ったが見当違いだと思った。
いつもの別れ道の少し手前の道から別れるのだ。ほぼ変わりない。
それにあの彼女なら嫌悪感を示せばすぐに僕に言うはず。死ねと。
となれば、まずはそれとなく聞いていく所から話は始まっていく。
「ねえ。最近、忙しそうだ。なんか習い事でもはじめたのかな」
ここでまず僕が立てた予測と言えば妥当なところで習い事である。
スイミングにそろばん。それに学習塾等が該当するだろうと思う。
「今日塾だから」さも心から辛そうな雰囲気を醸す同級生も居る。
「いいえ。習うことなんて何もない。タイム・イズ・マネーよ」
小学生にしてはあまりにも現実的な金銭感覚の持ち主だと思った。
確かに彼女は何をやらせても素晴らしい成績を残すので納得した。
「最近は知り合いの家に行っているの。気にすることじゃないわよ」
「そうなんだ」
彼女もまた母と同様に嘘をつくような性格ではないし、信じた。
なれば僕はそれ以上追求する余地はない。しても仕方がない。
「ええ。だから、今日もここでお別れ。それじゃあ」
というわけで僕は二週間の高尚な悩みを一言で収束させていた。
僕は何を習うべきかと思ったがまず人間関係についてであろう。
しかし前述に「人の噂も七十五日」と言ったが、まさにこれである。
「忙しそうだ」からはじまり「それじゃあ」で日々が終わるのだ。
そんな日々も七十五日続けば立派な噂になってしまったのであった。
「なあ。お前。彼女。付き合ってないって言っただろ。本当か」
そりゃあ常日頃と言っていい具合に彼女は毎日消えていくのだ。
男ができただの中学生と付き合ってるだの言われても仕方ない。
「僕はそうだと思うけど。少なくとも付き合ってたら言うと思うよ」
お前だからなあ。あまりにも失礼な言葉を残し彼は去っていった。
仮に男がいたならば僕の姿を見て嘲笑するか安堵するであろうに。
まあ端から見ればブルドッグと飼い主と言える。もはやペットだ。
僕も気にはなっている。それに僕はブルドッグのように可愛くはない。
僕は学校で別れる事になったその日はすぐに家に帰ったのである。
もちろんだが、放課後に残って談笑する友達がいないからである。
校庭に出ればボールの代わりに僕が蹴られる可能性があるからだ。
「あれ」
母から書き置きで「油を買ってきて」とお使いを頼まれていたのだ。
きちんと購入し家への道程をゆっくりと歩いていた時のことだった。
ううんどうみても彼女である。マンションから出てきたようだった。
「こんなところで。奇遇」
と僕はそう声をかけてみたが「あ」と気不味そうな声をあげるのだ。
そこまでここから出てきた事に関して唸らなければいけないのかな。
「ああ。あなた。お使いの帰りかしら」
「そういうこと。君は?用事が済んだのかな」
「済んではないけど、日課が終わったってところよ」
そっか。僕はさも「見てませんよ」という声の抑揚でそう言った。
すると彼女は安堵したようにそうなのよ。そう告げ去っていった。
僕は油を抱え家に戻り、お駄賃が貰えることを、ただ願っていた。
なんとも浅ましい子供だったと言える。
ようやくと言えばようやくだが話が動き出すのはここからである。
あの日以降から彼女はさり気なさを演出しつつ僕を避けるのである。
それを見て心が少し痛んだが、慣れているので気にはならなかった。
どちらかというと「ああ、ようやく嫌われてしまったか」と思った。
そんなわけで僕は本来の居場所である家に引きこもることになる。
と言っても母が必死で働いているので僕はきちんと学校に行っている。
授業も受けるし、無視されようと時折暴力を受けようとも通っている。
恐らくここまで彼女の存在があったからこそ直接は結びつかなかったのだ。
いつも一緒にいる金魚の糞のようであろうとも、僕は彼女の友人だった。
なればそれをいじめたりすると彼女からの印象が悪くなるからである。
つまり最後のストッパーが外れた今、誰も僕に躊躇しないという事だ。
「お前。彼女に嫌われたんだろ。何かしたか。告白とかか。何だ」
蹴られる度に涙が滲んだが原因はどちらかというと痛みより言葉である。
彼らは平然と彼女を守る騎士の如く己の行動を正当化しようとしていた。
まあもしかしたら何かしたのだろう。もしかしなくても原因は僕だろう。
「ただいま」
「あんたさあ、やり返したっていいのよ。あたしが謝ってあげるから」
「いいんだ。きっと、僕は何かしたんだよ。わからないけど、何かを」
「そう。あんたって、たまに本当にあたしの子が疑っちゃうとこある」
家に帰れば少し辛辣そうに聞こえる励ましを受けるとは思わなかった。
強い子ねえ。そう言って僕を抱きしめる母は少し涙ぐんでいたと思う。
「あんたはよくても、見てるあたしが、どうにかしてやりたくなるのよ」
「ごめん。まあ、まずいと思ったら、言う。そのときはどうにかしてよ」
「ええ。あたし、ろくでもない人間しか昔から人付き合いないけれどね」
つまるところ僕の鶴の一声で小学生数人が失踪するかもしれない。
母は夜の人間なのだ。そういう人が知り合いでもおかしくはない。
おまけにこのあまりある美貌に加えこれほどいい女と言えるのだ。
今度は逆に僕が彼らをいじめる引き金となりそうなのでしばらくは口を噤もう。
そんな僕を見かねたのか冷蔵庫で散々勿体無いと言っていた高級肉。
それを躊躇いもなく開封する母に尊敬の念を覚えつつもいただいた。
美味しいわねえ。うん。僕、もうしばらく生きれそうだよ。笑った。
笑うしかなかった。
さて、いくら「遊んでいただけです」と言ってもあざだらけな僕である。
三者面談の際にも僕が母を愛し母も僕を愛していることを知っている。
ということはあざの原因は同級生によるものだと先生も確信するのだ。
日頃からあまりいいとは言えない待遇を受けていることも知っている。
熱心な先生でよかったとは思うのだが、それが裏目に出てしまった。
僕の方でも日課となりつつあったいじめを先生が目撃してしまったのである。
推測は確信に代わって「熱心な指導」をその同級生やらに散々行うのである。
そして教室でも僕を黒板の前に立たせ注意喚起を行うのだが、これがまずい。
沈静化するのは、テレビドラマだとか映画の中だけである。現実は甘くない。
お礼参りと言うとがらが悪いが今度は見えない所でするようになるのだ。
校舎裏まで「友達です」と白々しい顔で連れてゆかれて、殴られるのだ。
逃げ出せることも時折あったが翌日に捕まればその分も加算されている。
となれば日々少しずつ暴力を受ける方が得策と判断し、僕はそれに従った。
だがいじめの形と言えばそれだけではない。無視だったりもそうである。
その点に関して言えば僕は慣れているので問題はない。教科書もだった。
彼らは知能犯的犯行で形あるものを汚したりはしないようになっていた。
というわけで、狙うは僕の腹であったり服の下ということになる。