312 :まちがって名前消しちゃいました。:2009/03/24(火) 21:10:19 ID:???
俺の娘は今年4歳になるが、嫁は娘を生んですぐに家を飛び出したので、子供には母親の記憶はない。
今まで母親のことはあまり話題にせず避けてきたんだが、
こないだちょっと考えさせられる出来事があった。
仕事の移動中に乗った電車の中でのこと。
俺の隣には、幼稚園くらいの女の子が、母親らしい若い女性と一緒に乗っていた。
途中、駅で片腕のない女性が乗ってきて、俺達の向かい側に座った。
女の子が「お母さん、なんであの人は手ないん?」と、みんなに聞こえる声で
言ったので、俺は一瞬ドキっとして、女性と親子から思わず目をそらした。が、母親らしき女性は慌てることなく、女の子に向かって言った。
母親「いろんな人がいるの。みんなが同じじゃないの。 ○○ちゃんにはおじいちゃんとおばあちゃんがいないでしょう?」
女の子「うん、みんなはおるけど私はおじいちゃんとかおらへんねんなー」
母親「うん、いろんな人がおるけど、おじいちゃんやおばあちゃんがいないのは、 ○○ちゃんのせいじゃないでしょ?」
女の子「うん、違う。あ、△△ちゃんとこはお父さんおらへんねんで」
母親「そうね、でも、それは△△ちゃんのせいじゃないよね」
女の子「うん、違う!」
母親「だからね、みんなおんなじじゃないの。 みんなそれぞれ、持ってるものと、持ってないものがあるんよ。
でもね、持ってないからって、その人は何も悪くないし、他の人と何も違わないんよ」
腕のない女性を含めて、車内に乗り合わせていた人たちはみんな暖かい目でその親子を見守っていた。
思わず目をそらしてしまった自分が恥ずかしくなった。
自分の娘にも、母親のことを恥じない子に育って欲しいと思った。
この電車の親子は、俺に子育ての大事なことを教えてくれた気がする。
906 :Mr.名無しさん :04/09/21 16:06:37
もし、貴方の命で死の床に伏した母を救えるとしたら、どうしますか?
と聞いてきた友達がいたんだがどうだろうか?
自分の命を捧げてまで母を助けられるのだろうか?
908 :Mr.名無しさん :04/09/21 16:20:53
>>906
たった今リアルにカーチャンに聞いたところ
「どの世界に子供の命を引き換えに長生きしたいなんて母親がいる?」
と真正面から顔を見てハッキリ言われた。
鳥肌が立った。
ちっちゃい妹がドラマのCDプレゼントに応募した
ちっとも届かないから落選確実。しかし健気に待ち続けて今夜とうとう
「CDどうしたかな…」と悲しそうにしてる。見かねて「買ってやる」と言ったら
届くのを待つと言って提案を拒否。仕方ないので密林で
「オメデトウ!」のメッセージ付きで注文した。数日で届くだろう
密林での注文なんかしょっちゅうなのに、なんか今回は特別ドキドキする
喜んで貰えたら嬉しい
さっきからありがとう!!!!
最後の1行がなんか好きなんだ
優しい兄貴だよな
カーチャンが何食べたいって言うから
俺はクリームシチューが食いたいって言った
カーチャンは辛そうな体でクリームシチュー作ってくれた
凄く美味しかった
昔、味にケチつけてカーチャンの手料理を食べなかったり
皿ごと、ひっくり返したりしたことを謝った
カーチャンはいいんだよって笑ってた
多めに作ったから、ちゃんと自分で暖めて食べるんだよってカーチャンが言った
1日だけの外泊が終わって、病院にカーチャンを連れて帰った
翌朝、カーチャンが死んだ
癌で余命1ヶ月だったのに、心臓発作で、あっけなく逝った
家に帰って、クリームシチューを用意した
約束破って暖めないで食べた
それでも、美味しかった
カーチャン今までゴメンよって謝りながら食べた
カーチャンの最後のクリームシチューを泣きながら食べた
カーチャン、今まで本当にありがとう
空になったクリームシチューの皿に合掌した
うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。
その事実を知らされたときは嫁と泣いた。何度も泣いた。
難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。
嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。
ドン底だった。
バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。
何もかもが嫌になった。
嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。
ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。
頭おかしくなったんかと思ってたら、喋りながらゆっくり手を動かし始めた。
「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」
手話だった。
そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。
それで目が覚めた。何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。
娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。
あれから三年。
娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。喋ってる。
いい話だ
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車で母も用事があったし、近くだったんで、
母さんが運転するよ、と付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
たばこふかしながら履歴書見て「何この転職回数?あんたもう36だろ?」
「働いた経験が長いったって、こんなの職歴なしも同然だろう?」
「精神の病気だかなんだかしらんが、うちでそんなの雇うわけない、
辞められたら無駄だし、もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。
無言のままうどん屋に入って、カツ丼を食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。
母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。
今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろう。
母さん、就職できたらおごってくれたお礼に、今度は何かおごるよ。
うまくないカツ丼じゃないところに行こう。
この歳になって言うのもなんだけど、 母さんごめんなさい。
昨日残業して2時頃帰ったら、リビングに行き倒れ状態の嫁と娘が。
嫁の手にはクラッカー、娘の手には「ぱぱおにんじょびおめでと」のカードが。
部屋はお誕生日パーティの飾りが、冷蔵庫には食べかけの
俺の大好物のラザニアとケーキ(どちらも普段は太るからと、めったに
食卓には上がらない)とシャンパンまで・・・
残業だから先に寝てろって言っといたのに。泣きながら布団かぶせたら
嫁が起きて、「ごめん、1時までがんばったんだけど・・・」
その声で娘も起きて寝ぼけ眼で「パパあけましておめでとう」
また泣いた。
義理の親 育児版から
132 :名無しの心子知らず:2010/03/07(日) 20:29:24 ID:W+312q3S
自分、パパ歴14年目。 息子18歳。
今日、卒業祝いのスーツを一緒に買いに行った。
血のつながりのない息子だが、子育ては楽しませてもらったよ。
最初は、かわいいという感情がわからなくて、
ただ、彼の行動や言動がおもしろかった。
泣き虫だった幼稚園時代、ジュラシックパークにはまって、
いわきまで、恐竜掘りにいったっけ、サメの歯しかでなかったけど。
ちょっとイタズラな小学時代、やりすぎて呼び出しくらったな。
ポケモンにはまったな。
反抗期の中学生時代、FFを徹夜でつきあったな。
ちんちんに毛が生えた時、みせてくれたっけ、ビビッたぞ。
何を考えてるのかわからなかった高校時代、
去年は、エヴァを映画に連れて行かれて
アキバにフィギュアを買いに付き合わされたっけ。
俺の趣味がかなり痛いものになってきたゾ
泣いたり、笑ったり、悩んだり、喧嘩もしたな。
いろいろ、あったけどサ それ全部ひっくるめて、父親は楽しかった。
内緒だけど、卒業式は泣いちまったゼ!
もう、大人になっちまうんだよな~さみしい。
子離れしないとな。
どなたか海保の人の結婚式で大和のじっちゃんのコピペ知りませんか?
泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。
ありがとう!これだ!